将来ネットワークにおいて解決すべき課題において重要なものの一つが情報指向(コンテンツセントリック)ネットワークである。これまでのインターネットでは、通信は「誰、あるいはどこ(who, or where)」にもとづいて行われてきた。これは、インターネットが元々コンピュータ間の通信を実現するためのものであり、指定された相手にサービスや処理を依頼する、という通信形態を考えると自然な発想であると言える。しかしながら、爆発する情報量と情報流通の高度化、さらに近年クラウドサービスなどに代表されるネットワークを含めたサービス自体の抽象化の概念が導入されつつある。すなわち、エンドユーザに対してはサービス自体が明示されるだけで、具体的にネットワーク上のどのノードが何のサービスを提供するかは隠匿されている。その結果、現在のコミュニケーションは「何(what)」を主体として行われることが一般的である。このようにコミュニケーション形態が旧来のノード指向型からデータ指向型へと変化している現在および将来において、ネットワークも従来の who, where から what にもとづいた通信を提供するように発展することが大いに期待されている。これを情報指向ネットワーク (Information Centric Networking; ICN)、あるいはコンテンツセントリックネットワーク (Content Centric Net-working; CCN) と呼ぶ。
情報指向ネットワークへの移行は従来のIPネットワークの通信パラダイムの抜本的に変革するものであり、実現にはさまざまな課題が存在する。本研究では、情報指向ネットワーク実現に向けた課題解決を目標とし、ハードウェアアーキテクチャ、キャッシュ配置、およびルーティングアーキテクチャについて取り組んでいる。
情報指向ネットワークを実現する上で最も重要な課題の一つとして、中継器である情報指向ルータの高速化が挙げられる。情報指向ネットワークは従来の IP ルーティングとは大きく異なり、より広範囲のパケットヘッダ検索処理、送信・受信・キャッシュ等用途に応じた異なる検索手法、およびマルチキャストなどの一対多通信などを高速に処理する必要がある。情報指向ルータのハードウェアによる高速化についてはその概念が示されているものの、具体的なメモリ構造まで踏み込んだ議論はまだなされていない。本研究では、情報指向ルータの高機能化、高速化に必須の技術であるパケットヘッダ検索処理を対象とし、連想メモリとブルームフィルタの併用により高速な検索性能を維持しつつメモリ資源の利用効率を向上させる新しい検索ハードウェアアーキテクチャの提案を行った。
情報指向ネットワークアーキテクチャは経路情報として用いる識別子(名前)の柔軟性の高さを利用し、よりフレキシブルな経路制御によるコンテンツ取得を実現することができる。このような背景から、近年情報指向ネットワークを利用した柔軟なコンテンツ取得に対する研究が行われている。ここで柔軟なコンテンツ取得とは、名前を指定した静的なコンテンツの取得だけでなく、中継あるいはエンドノードにおけるさまざまな制御も考慮に入れた動的なコンテンツ取得を指す。 例えば、名前を直接セッションのシグナリングに利用する方法や、動画取得におけるフレームレート・解像度などを名前に含めることで、経路制御およびノード処理をシームレスに行うことを含めた柔軟なコンテンツ取得が可能となる。 しかしながら、既存研究ではエンドノードおよび中継ルータにおけるデータ処理に関する制御が主として考えられているのみであり、機器の物理的な動作、特に実移動を伴う制御についてはあまり検討されていない。
本研究では、中継ルータの物理的な移動を含めた経路制御を情報指向ネットワークに組み入れることを考える。コンテンツ名の指定だけで中継ルータの物理移動を含めた経路制御が可能になることで、相互に接続されていない独立ネットワーク(分断ネットワーク)間での情報流通および共有が実現できる。 以上の背景のもと、本研究ではルータの物理的な移動制御を実現するために、CCN ルータを搭載したUAV(Unmanned Air Vehicle)を用いる。そしてUAV の移動を情報指向ネットワークの経路制御において行うことによって、取得不可能な遠隔地のネットワークにあるコンテンツを、コンテンツ名を指定するだけでUAV を介して取得可能とする新しい情報指向ネットワークアーキテクチャを提案する。さらに提案アーキテクチャを実現するためにCCN ルータとUAV を組み合わせた空中ルータ(Flying Router: FR)の設計および開発を行い、分断ネットワークにおけるコンテンツ取得のための経路情報の作成、交換手法などについて設計した。また、空中ルータのプロトタイプ製作を行い、簡便な分断ネットワークによる基礎実験を行うことで提案方式の有効性について検証した。さらに、ICNの柔軟な制御の有用性を向上させるために、直接的な接続性を有さない無線ノード間の通信をFRの移動を介して実現する手法としてRMICN(Router-Movable ICN)を提案・設計し、ルータの移動戦略および巡回経路設定手法を提案した。そして、RMICNが分断ネットワーク間の通信手法としてコンテンツ取得時間において優れていることを計算機シミュレーションにより明らかにした。
情報指向ネットワークは当初静的コンテンツを対象として主にネットワーク内(in-network)キャッシュを活用したコンテンツ配置最適化を中心とした研究が行われてきた。昨今では、情報指向ルータにキャッシュだけでなく計算処理(ネットワーク内処理;in-network processing)を行わせることで、動的なコンテンツ処理を含んだより柔軟なコンテンツ・サービス提供プラットフォームとして研究が進められている。特に、情報指向ネットワークの名前によるコンテンツ取得を応用した、名前による処理の呼び出し(Named Function)の概念は、分散処理と非常に親和性が高いだけでなく、これまで情報指向ネットワークで検討がなされてきたコンテンツキャッシュ技術を応用・拡張し、ネットワーク内処理モジュールの自由な配置を実現することで、エッジコンピューティングや並列負荷分散処理などの機構も実現可能であることから、特に計算機資源に制約があり処理ノードとの連携が不可欠な IoT (Internet of Things) や M2M (Ma-chine-to-Machine) 通信において、情報指向ネットワークの優位性が大いに活用できることが期待される。また IoT/M2M アプリケーションにおいて重要となる分散並列処理部分を、情報指向ネットワークの通信プロトコルに準拠させ、ネットワーク層で完結させることで、特別なミドルウェアを必要とすることなく、容易に分散処理アプリケーションが開発可能であるだけでなく、ネットワーク内キャッシュなど情報指向ネットワークの最適化技術により、それらが最適な環境で動作可能となることが期待できる。
本研究では以上の背景をもとに、現時点では十分に検討がなされていなかった、情報指向ネットワークにおいて統一的に適用可能なM2M アプリケーション設計・実装手法を提案し、その手法にもとづいた道案内アプリケーションの実装例を示した。これにより、情報指向ネットワークの優位性を用いることで、本来個別にスクラッチで実装が求められるM2Mアプリケーションにおける分散処理などの処理を、情報指向ネットワークで提供される機能を活用することで、アプリケーション全体に必要となる実装コード量を大幅に削減することを示した。