インターネットは急速に産業社会や市民生活に浸透し、社会基盤として重要な役割を担うようになってきた。しかし、同時に管理の複雑さや脆弱さなどその限界も指摘されている。そこで、コンピュータによる情報処理とネットワークによる情報流通からなる情報基盤を根幹から見直し、現状の限界を克服する新しいネットワークアーキテクチャの確立の必要性が国の内外を問わず認識され、10~20年後の実現を目指してこれまでにない革新的なネットワークアーキテクチャの構築を目指す取り組みが行われてきた。欧米諸国においても、従来のネットワーク技術とは異なる原理に基づくネットワークアーキテクチャの探索的研究は、米国NSF(FIA、GENIプロジェクト)、欧州EC(FP7プロジェクト)などを中心に活発化し、我が国においても、(独)情報通信研究機構を中心に積極的な活動が行われてきた。その成果として、今後のネットワーク基盤技術として、以下の技術に関する研究開発が活発に進められている。
これらの技術は独立のものではなく、その融合によって新しい情報社会基盤の構築が可能になる。 例えば、仮想化技術によってさまざまなIoTサービスを融合させること、ICNによってIoTデバイスやサービスを発見すること、など可能性は無限にある。しかし、一方で、このような方向性は新たな技術課題も産み出すことが容易に考えられる。例えば、
すなわち、今後、大規模複雑システムとしての情報ネットワークにおいて、以下のような時空間ダイナミクスを扱う理論基盤、および、それに基づいた技術確立が必要である。
今後のネットワークアーキテクチャに必要とされる設計要件として,以下の3つを設定して研究に取り組んできた.
以上3つのキーワードを前提とすると,「すべてのユーザの通信要求を満たす」単一のネットワークアーキテクチャが存在しえないことは明らかである.それよりも,エンドホストの適応性(adaptability) 向上を根幹とし,ネットワークはそのような適応性をサポートするための機構を提供することを基本原理としていく必要がある.そのためには,エンドホストはネットワーク状態を自律的に実時間で知る必要があり,ネットワーク計測技術を根幹したエンドホストの制御が必須になる.また,トラヒック変動や故障だけでなく,ネットワーク資源の変動やエンド端末の移動などあらゆる環境変動に対処可能にするためには,ネットワークはエンドホストの適応性を前提とした自己組織型制御が重要になる.このような研究の方向性は,バックボーンのインフラストラクチャとなるフォトニックネットワークにおいても例外ではない.
インターネットはもともと分散指向といわれているが,実際にはそうではない.例えば,IP経路制御は分散志向であるとよく説明されているが,決してそうではない.現状のIP経路制御は,完全な分散制御ではなく,分散集中型あるいは協調型分散型と呼ぶのが正確である.例えばIP経路制御のひとつであるOSPFにおいては,すべてのルータ(エンティティ)が独自の判断によってパケットフォワーディングをするという意味では分散型であるが,すべてのルータが同一の情報を集めて,同一のネットワークトポロジーを持つことを前提に同じ動作をすることが前提である(集中分散型).また,他ルータも完全に同じ振舞いをすると期待して動作する(協調分散型).完全な分散制御でないことが,ネットワークの耐故障性の弱さにつながっている.このような問題を解決するためには,上述の多様性,拡張性,移動性を前提に,分散処理指向をさらに推し進め,しかし,それによって損なわれる資源利用の効率性については,エンドホストの現状のネットワークの状態に対する適応性によって補償していく必要がある.また,そもそも,効率性を追求することは,これまでの情報ネットワークの研究開発においては至上命題であったが,技術の進展によって性能はすぐに向上する.効率性よりも,耐故障性や適応性,スケーラビリティなどを向上できるネットワークアーキテクチャこそ今求められているものである.その結果,今後も開発されていくであろう多様な通信技術に対応することが可能になり,ユーザの多様な要求に対するサービスも提供できるようになる.
そのためには,個々のエンティティが自律分散的に動作し,全体では意図する制御が実現されるようなネットワーク,すなわち,自己組織型ネットワークを構築していく必要がある.また,今後もネットワークの階層構造は機能分割,機能分担という意味で重要な概念であり続けると考えられるが,その際にも,縦方向のエンティティである階層構造をより柔構造にしておく必要があろう.すなわち,従来のように階層を完全に分割するのでなく,上位層,下位層の状態に適応可能な制御構造を有するネットワークを構築することによって,自己創発型(エマージェント)ネットワークを構築していく必要がある.このような考え方は,複雑適応系の考え方そのものである.現状のインターネットも,それが人為的に作られたものにも関わらず,人が設計可能な範囲,制御範囲を超えつつある.複雑適応系としてインターネットを捉えることにより,大規模システム全体の振る舞いや設計手法,非線形システムとしての安定性,故障の連鎖反応の影響,ロバスト性等を解明し,最適性や最適解への収束速度を明らかにする等,その理論的役割に期待できるところは大きい.それらの過程を経て,人為的に設計・構築されたネットワークを結果として制御可能なものにしていく必要がある.
特に,エンドホストの自律性がますます要求されるようになると,それを前提として,ネットワーク全体の調和的な秩序が必要となる.これは適応複雑系においてまさしく議論されているところであり,それらの知見を活かすことの可能性が見えてくる.実際,これまでのインターネットにおいても,適応性を有する,また,頑強性や安定性を確保するシステム構築を行ってきた結果として,複雑適応系としての特徴が一部見られる.自己組織化制御はまさしくその特性を有するものであり,現状のインターネットでも採用されている考え方を推し進めると自己組織化ネットワーク,さらには,複雑適応系としてのネットワークに行き着く可能性が十分にある.その傍証が,P2Pやルータの接続関係において観測されているべき則である.その理由として,自己組織化,ダイナミックな成長,多くのエンティティが起こす相互作用などが原因として挙げられる.これらは今後のネットワークの目指すべき方向とまさに合致しており,結果としてべき則やスモールワールド性が見出される可能性も明らかにされつつある.これまで,べき則やスモールワールド性に関する科学的研究は,統計物理学,応用数学,社会学,経済学,生物学などで活発に行われており,これら異分野の成果を情報ネットワーク技術の進展に応用していくために,以下のように科学と技術の融合が重要である.
われわれが推進しているネットワークアーキテクチャに関する研究は,以下の反省に基づいたものである.インターネットも含めてこれまでのネットワーク設計において,理論的な研究成果が技術の実現に活用された例は決して少なくない.特に従来は,待ち行列理論やトラヒック理論,ゲーム理論,最適化理論などの応用数学と密接に関連して研究開発が進められてきた.しかし,これまでの理論的研究は個別技術を対象としたものが多い.アーキテクチャは,本来,技術的手法と科学的手法の融合によって生まれるべきものである.しかし,現在,科学と技術の乖離があらゆるところで問題になっており,これは情報ネットワークの研究開発においても例外ではない.「科学的手法」は,すでに存在しているシステムに内在する普遍的な法則を探求するために,対象をモデル化し,数学的議論によって対象の性質を明らかにするものであり,一方,「技術」は新しい機能を実現する具体的な方法を案出し,モノを作り,利用するためのものである.本来,技術は,科学的手法から導いた性質をもとに新しい機能を実現するためにモデルを考え,実システムに適用することが重要であるが,従来はこの視点に欠けていた.すなわち,科学的手法によって得られた性質に基づき,それを技術として組み上げることが,アーキテクチャ構築の本質であるにも関わらず,従来はこのような循環がうまく機能していなかった.このような乖離が生じた理由は,例えば,情報ネットワーク分野においては,これまで用いられてきた理論が応用数学の借り物であり,情報ネットワークのために生まれた科学ではなかったことが大きい.また,以下のような現実的な問題もある.これまでの理論的手法は,現状および近未来の技術水準に基づくサービス品質の最適化を主眼としてきた.最適化の問題を容易に扱えるために,ネットワークシステム全体の最適化ではなく,ある階層やあるプロトコルを対象として最適化がなされてきた.情報ネットワークは階層化構造がとられているため,下位層は安定した構造を持ち,上位層からの要求を入力とすれば,このような仮定は十分に成立しうる.事実,インターネットにおいても,すでに,さまざまな小さな機能が追加されてきており,部分的な機能を最適化することは現実にも可能であった.また,特定の制御方式,プロトコルを対象とした最適化を行えば,階層すべてに渡ってこの作業を繰り返せば,最終的に全体のアーキテクチャの評価が可能になるという論理も成立しうる.しかし,もはやこのような仮定は成立しない.今後,適応的な情報ネットワークを実現するには,階層間の相互作用がよりダイナミックになるためである.
新しいネットワーク科学を創出することは容易ではないが,上述したべき則やスモールワールド性,自己組織化,自己成長,複雑適応系,創発性,非平衡系など,そのためのキーワードはすでにいくつか見えつつある.また,われわれが推進している生物の様態,特に自己組織化に学ぶネットワーク制御に関する研究開発の重要性は,以下の点にある.
これらの視点に基づき,新しいネットワークアーキテクチャの構築に向けた研究開発を進めてきたが,自己組織化制御の有用性とともに,その問題も明らかになりつつある.それについては次節において述べる.
最近取り組んでいる研究課題について述べる前に,自己組織化手法を情報ネットワークに適用した場合に,特に産業界から指摘される問題とそれに対する考察をまず述べる.
以上の点を踏まえて,現在取り組んでいる研究においては,管理型自己組織化原理について研究を進めている.これは自己組織化制御のように個々のエンティティの創発性によって全体の創発に期待するだけでなく,自己組織化制御を基本としながら,現在の全体の状態を観測し,さらには将来を予測しながら,システム全体を望ましい方向に誘導するというものである.さらにそれを一歩進めて取り組んでいるのが生物の進化適応性 (Evolvability) に学ぶ情報ネットワーク設計・制御に関する取り組みである.ここでいう持続的成長可能性とは,
さらにそれを一歩進めて取り組んでいるのが生物の進化適応性 (Evolution of Evolvability) に学ぶ情報ネットワーク設計・制御に関する取り組みである。ここでいう持続的成長可能性とは、
を意味する。そのためには、短期的さらには長期的な将来の予測可能性 (Predictability)、変動するシステムの最適化 (Dynamic Optimization) についても同時に取り組んでいく必要がある。再び生物に学ぶことの有意性はそこにある。対応する生物学的用語は、ネットワークダイナミクス、Spontaneous(自発的な) Evolution、Plasticity、Controllabilityなどである。環境変動に対するロバスト性と進化適応性は、一見矛盾に見える。すなわち、ロバスト性を有するのであれば、環境変化に適応できることを意味し、進化適応性は不要である。一方、環境変動があった時にそれに適応できる進化適応性を有するのであれば、ロバスト性は不要である。もちろん、実際には、タイムスケールを考慮する必要がある。進化適応性は比較的長いタイムスケールでの、環境変化(システム規模拡大、利用形態の変化など)に対する遺伝的適応性を指し、一方、ロバスト性は短期の環境変動(トラヒック変動、故障)に対してシステムを適応させることを意味する。その結果、ロバスト性と進化適応性に必要な設計要件が見えてくる。すなわち、目指すべきは「進化適応性 (Evolution of Evolvability) のある持続的成長可能性」であり、短期的には、環境変動に対してロバストな環境適応性を有しながら、長期的には、進化しすぎて袋小路に入り込む(最適化)ことなく、将来に渡る予測困難な変化に対して適応できる進化適応性を有することが重要である。これは、ネットワーク用語で言いかえると、トラヒック変動、耐故障性、近接の機能を選ぶ環境適応性とともに、予測困難なシステム規模拡大、利用形態の変化、機能要求の変化と移動に対する進化適応性を有する必要があることを意味する。そのために、生物の縮退特性(Degeneracy; networked buffering)、表現型の可塑性(Plasticity)/エピジェネティクス、階層化とモジュラリティ (Hierarchy and modularity)などに注目しながら研究を進めているところである。また、最近特に、脳機能ネットワークに関する研究がfMRIなど測定装置の精密化によって飛躍的に進み、それを契機にネットワーク分析に関する研究も活発化しつつある。現在、これら生物学や脳科学の知見に基づいて、研究開発に取り組んでいるところである。