本研究テーマでは,近年のインターネットの飛躍的な発展に伴って顕著になりつつある諸問題を,生物学の研究において得られた知見に基づいて解決するとともに,ネットワーク分野における新たなブレークスルーを生み出すことを目的としている.特に,将来の情報ネットワークアーキテクチャに重要になると考えられる特性として拡張性,移動性,多様性の3つのキーワードを掲げ,それらの特性を持つネットワークに適した制御技術を対象として研究開発を進めている.
本研究課題の目標は,生物に学ぶネットワーク制御を新しく発展しつつあるネットワークに適用し,ネットワーク制御技術を確立することである.すなわち,生物システムのロバスト性,適応性,自律性に学びつつ,従来のネットワーク研究の単なる延長ではない新たな自己組織型ネットワーク制御の実現を目指している.
生物界の挙動を情報システムに持ち込んだ例としては,過去にも遺伝子アルゴリズム(Genetic Al-gorithm)や ACO(Ant Colony Optimization)などがあったが,これらは遺伝子をモデル化したり,アリの生態を模すことによって最適化問題を扱おうとするものであり,本研究テーマの目標とは根本的に異なるものである.特に,本研究テーマにおいては,生物の様態や挙動を数理モデルとして扱われているものをネットワーク制御に持ち込んでいる.これがないと,現象や制御の説明を生物に例えて説明するだけの単なるアナロジーに過ぎないものになる.数理モデルを扱うことにより,その安定性やパラメータ感度に関する数学的な議論も可能となる.すなわち,ここで扱う研究課題は,単に生物学分野に限らず,生物学分野と情報ネットワーク学分野の共通の土台としての応用数学や統計物理学などの学術分野における過去の知見も活用しつつ,真の先端科学技術の融合を実現するものである.
自己組織型制御は,一般に以下の性質を持つものとして定義される.
ネットワーク制御においては,正のフィードバックを基本とし,負のフィードバックを加えることはもともと必須のものであった.ランダム性の導入は,特に時間的変動のあるシステムに対してロバスト性を確保するのに必須要素と考えられ,経験的にはこれまでも一部採用されていたが,生物に学ぶネットワーク制御によって,その妥当性が実証されたと言える.さらに,エンティティ間の通信による行動の決定という点については,環境を介した間接的なインタラクションによって全体の制御を実現する (Stigmergy) ことの重要性が明らかになった.以上のことから,生物に学ぶネットワーク制御を実現したことにより,拡張性,移動性,多様性に対処可能なシステムの構築可能性が証明できつつあると言える.
特に,センサーネットワークにおいては,ノード数,適切なクラスタ数,それらの位置などはあらかじめ知ることができないため,自律的に発見する必要がある.そのために本研究課題で示した解決策は,必須技術であるといえる.さらに,センサーネットワークを含めた無線環境においては,環境変動が激しく,数学モデルによる予測が不可能であるといっても過言ではない.従来,例えば,受信電力強度は距離の自乗に反比例することが知られており,また,ビット誤りの発生モデルとしてギルバートモデルがよく用いられる.また,フェージングやマルチパスの数学モデルの提案なども古くから行われている.しかし,これらの多くでは,ある一定の環境(会議室,屋上,広場など)を想定した上でパラメータ同定が行われる.逆に言えば,環境が異なればパラメータが異なってしまい,実用に耐え得るものとは言い難い.また,モデル自体,長時間にわたる,すなわち統計的に意味のある時間オーダーで検証が行われているものであり,ネットワーク制御のように小さい時間オーダーでの動作を前提とする環境では到底用いられるものではない.すなわち,本研究のテーマの成果により,ネットワークノードが環境に適応することを前提とし,さらに環境変動にも柔軟に対応できるような制御をあらかじめ組み込んでおくことの重要性が示されつつある.
以上,本テーマの研究成果は,基本的には自己組織型制御に基づいてロバスト性を確保し,さらには間接的なインタラクションによって全体の制御を実現したり,環境を介した通信によって全体の制御を実現するものであるが(「群行動によるインテリジェンス」),これは複雑適応系で議論されるところの「要素の寄せ集めではなく,自己組織化によってパーツの集合体以上の振る舞い」の実現そのものであり,それが,われわれが複雑適応系に着目している理由である.
1.1.1参照
1.1.2参照
1.1.3参照
1.1.6参照
1.1.7参照
1.1.8参照
1.1.10参照
1.2.2参照
1.2.3参照
2.1.5参照
本研究課題における目的は,アドホックモバイル環境を含めた現状のインターネットの各層における制御やプロトコルを今後どのように変革していけばよいのかという根源的な問いに対する解答を得ることである.ネットワークにおける重要な概念の一つに階層化がある.これは複雑になるネットワークシステムの機能を階層化して分割することで,それぞれの階層における機能を明確化・単純化することにあった.その利点は大きい.これまでのネットワーク設計は,一言で言えば「現状および近未来の技術水準に基づくサービス品質の最適化」にある.階層化することによって,全体のネットワークシステムを最適化するのではなく,ある階層に着目し,下位層および上位層を抽象化することによって,システムの最適化をより簡単な問題として扱えるようになる.その結果,ある階層のプロトコル制御を最適化できれば,最終的に全体の制御が最適化できるようになることが期待できる.しかし,それ故に,下位層は安定した振る舞いをすることを仮定することになり,また,上位層についてはそこで規定されるトラヒック特性や要求品質を既知とし,対象とする階層への入力として最適化問題を解くことになる.
一方,本研究テーマで目指す自己組織型制御においては,上下の階層間のインタラクションが重要となる.例えば,下位層の時間的な変動が,上位層に影響を与える動的システムとして捉える必要がある.すなわち,階層間のインタラクション(縦のインタラクション)を設計自体に取り込んでいく必要がある.最近,QoSを保証しないIPネットワークにおいて,アプリケーションの求める通信品質,機能を提供するためのアプリケーション層サービス(オーバーレイネットワーク)が最近注目を集めているが,これらのオーバーレイネットワークがTCP/IPを使う場合を考えると,複数のオーバーレイネットワークがTCP/IP資源を競合して使うことになる(横のインタラクション).資源の有効利用を考えた場合,従来は,オーバーレイネットワーク同士が協調する機構を導入するのが通例であり,半ば常識であった.しかし,それぞれが適応型,自律分散型制御を行うだけで資源の有効利用が図れるのであれば,協調型制御を導入する必要はなくなる.また,それぞれのオーバーレイネットワークが環境適応型制御を行う場合にインタラクションがどのように作用するか,積極的な協調制御を行う必要があるのか,などを明らかにしなければならない.
これまで,ネットワークは,人と人をつなぐ電話網,人とコンピュータ,コンピュータとコンピュータをつなぐインターネットとして発展を遂げてきた.今後,情報環境情報ネットワークを実現するためには,小型コンピュータチップを搭載するセンサー群などを多数接続し,地球規模の環境情報を取得し,処理を施した後にそれらの情報を人に提示したり,さらには人を介することなくコンピュータ群が環境に対して制御を行う機構が重要となる.すなわち,電話網におけるCommunication,インターネットにおけるComputing & CommunicationにControlが加わったもの(C3アーキテクチャ)と考えることができる.最初に示した拡張性,移動性,多様性の3つの性質は,アンビエント環境情報ネットワークではより重要なキーワードになると考えられ,本稿で述べた生物学に基づく自己組織型のネットワーク制御はなくてはならないものになると考えられる.問題は,このような制御を今後設計していく際の根本的な設計原理として何を考えるかである.そのために我々は,ネットワークを複雑適応系として捉えることが重要であると考えている.
これまでにない拡張性,適応性,頑健性を有する新世代のネットワークを実現するためには,これまでの階層モデルや制御原理だけでは不十分であることがわかってきており,全く新しいネットワークアーキテクチャが必要とされている.特に,時間的にも空間的にも規模の異なる環境変動や障害に対応するためには,動作条件を想定して適応機構を作り込み,常にネットワークシステム全体の状態を観測,管理し,最適制御するのではなく,個々のノードやネットワークの自律性を高め,局所的な情報にもとづく適応的な振る舞いによってネットワークシステム全体として所望の機能,動作が創発される,自己組織的なネットワーク制御が効果的である.
そこで,本研究では,ノードやネットワークなどネットワークシステムの全ての構成要素が,周囲の観測や近隣要素との情報交換によって得られる局所的な情報にもとづいて制御や振る舞いを決定し,さらにそれらの相互作用によって,ネットワークシステム全体の機能が生み出される,自己組織的なネットワークアーキテクチャを提案している.自己組織的なネットワーク制御の基本原理としては,特に生物学を中心とした他の学術領域において得られている自己組織化に関する知見を応用し,非線形数理モデルにもとづいた制御機構を提案している.
これまでロバスト性や安定性を有するシステムを特徴付けるものとして以下が挙げられている.これはネットワークを複雑系として捉えられることを意味している.
しかし,真にロバスト性や安定性を確保するためにはこれだけでは不十分である.既存のインターネットだけでなく,将来のアンビエント環境情報ネットワークにおいてロバスト性や安定性を得るためには,最近よく指摘される複雑適応系として以下の性質を満たすことが重要である.
IPは分散型制御であるとよく言われるが,例えば経路制御はネットワーク全体のトポロジーイメージを同じものとしてすべてのルータが持つことが要求される.すなわち,実態は分散型集中制御とも呼ぶべきものであり,複雑適応系で言われるところの分散型制御には程遠いものである.その結果,例えば,あるルータの故障がネットワーク全体に悪影響を及ぼすことが実際に起こりうる.それを避けるためにフラッディング制御が行われており,それがスケーラビリティを阻害する一因になっている.
再びIPの経路制御を例にとると,パケットフォワーディングはルーティングテーブルのルックアップによって単純化されているが,ルーティングテーブルの設定のために経路を決定するための計算をすべてのルータがそれぞれ独自に行い,他のルータも同様に正しく計算し,動作することを前提にしている.すなわち,別の言い方をすれば,IPの経路制御は協調型制御になっていて本研究テーマの目指す自己組織型制御とは異質のものである.
経路制御は基本的には隣接ルータ同士の通信により実現されているが,上述のように故障が発生した場合にはフラッディングが行われる.近いもの同士の明示的な通信をも排したものが,先に述べたStigmergyに基づく制御である.ただし,この場合,安定するまでに要する時間が大きいこともすでに確認しており,その点も考慮したシステムの実現は今後の課題である.
しかし,それらの結果得られる創発性は,環境の変化や予期しない事態にも高度に適応性を持つ.
例えば「群知能」はまさしくこの点を目指すものであるといえる.
以上より,ネットワークを複雑適応系として捉えつつ構築することによって,ネットワークの動的な変化に適応可能で,自己修復性,適応性,耐故障性のあるシステムを,それぞれのエンティティにおいて明示的に意識して埋め込むことなく実現できることが期待できる.エンティティを単純化することによってソフトウェアバグの混入が避けられるため,副次的な効果としてシステムのロバスト性がこの点からも期待できる.
一方,複雑適応系と密接に関連するものとして,近年脚光を浴びているのがべき則である.特に,ノードにおけるリンクの接続数がkになる確率がk-γで与えられるようなトポロジーを有するネットワークに関する研究が盛んに行われており,べき則は遺伝子代謝ネットワーク,神経回路網,送電網,知人関係,論文引用関係,WWWのリンク数,P2P接続関係,インターネットのルータ接続関係など人文科学,社会科学,自然科学を問わず多くの研究分野において「発見」されている.最近はなぜべき乗則になるのかについての究明も行われている.一般には,自己組織化(Self-organization),動的進化(Dynamical evolution),多数の相互干渉(Many interacting units)などで説明されており,べき則を再現するトポロジー生成モデルとして,Barabasi-Albert(BA)モデルなどが有名である.そこでは,選択的接続(Preferential Attachment),成長するネットワーク(Incremental Growth)を核とし,ノードをリンクに加える時に接続数による重みを考慮している.情報ネットワーク分野においては,BAモデルは例えば,P2Pネットワークのトポロジーがべき乗則に従うことをうまく説明できているように見える.
しかし,べき乗則だけでトポロジーが決まるわけではもちろんない.情報通信ネットワークが他のネットワークと異なる点として,(1) ネットワーク設計者が介在すること,(2) ノードとその処理能力には相関関係があること,(3) 耐故障性には経路制御も介在すること,(4) ネットワークではフロー制御が存在すること,などが挙げられる.すなわち,インターネットトポロジーの場合には,地理的関係,回線やルータのコスト,人為的な要素(設計)なども考慮する必要がある.あるいは,それらの要素も考慮した上でやはりトポロジーがべき則に従うとすれば,それを説明する普遍的な理由を考えていく必要がある.すなわち,複雑適応系に現れるべき則が単なる現象としての結果なのか,必然的に現れるものなのか,がここでの問いである.重要な点は,インターネットは他の複雑系と異なり,制御可能であるという点である.すなわち,インターネット自体が複雑系に関する巨大な実験場と見ることもでき,本研究テーマで得られた知見を他の複雑系に関する研究にフィードバックすることも将来的には可能であると考えている.
多数の機器がインターネットに接続し,多数のユーザがインターネットを介して様々なサービスを利用している.大規模な通信システムであるインターネットを制御するため,OSI参照モデルに基づきネットワーク機能は階層化され,それぞれの階層ごとに対応するプロトコルによりインターネットは分散的に制御されているが,個々のプロトコル同士が複雑に干渉し,インターネットの挙動は複雑で,把握し難いものとなっている.例えば,インターネットにおけるトラヒックはエンドホストにおけるフロー制御・輻輳制御により,短・長期的な時間スケールに依存した振る舞いを見せる.インターネットは技術面およびサービス面で常に変化し続けており,インターネットにおけるトラヒックの複雑な振る舞いを理解することは,ネットワークの制御や設計のために重要である.
下記の論文では,エンドホスト同士がフロー制御により相互干渉する状況下での,べき則の性質を有するISPルータレベルトポロジにおけるトラヒックの振る舞いを評価している.これまでの研究により,エンドホスト間のフロー制御が,インターネットトラヒックにおける統計的性質を生み出す要因になっていることが示されている.しかしながら,これらの研究では小規模で単純なトポロジーを対象としている.そこで,BAモデルにより生成したトポロジー,およびISPルータレベルトポロジがパケット転送遅延に与える影響を評価し,さらにトポロジーが持つ構造の違いに着目することで,トポロジーが持つ構造とフロー制御の相互作用がパケット転送遅延分布,各リンクの待ち行列長の変動の規模に与える影響を評価する.計算機シミュレーションの結果,エンドホスト間のフロー制御としてTCPを用いた場合には,ストップアンドウェイトと比較してエンドホスト間の遅延が増大し,待ち行列長の変動が大きいリンクの出現確率が増すことが明らかになった.また,ISPトポロジーにおけるTCPに基づくパケット転送を計算機シミュレーションにより評価した結果,ネットワーク負荷が小さい場合は待ち行列長が大きく変動するリンクが全体の0.8%程度である一方,ネットワーク負荷が大きい場合には,ボトルネックリンクでは待ち行列長の変動は小さくなるにもかかわらず,全体の約10%のリンクで待ち行列長が大きく変動することが明らかになった.このことより,ISPトポロジーでは,ボトルネックリンクから,支流のリンクへと待ち行列長の変動が伝播するトポロジー構造を持つことが明らかとなった.また,同様の評価をBAトポロジーにおいても行い結果を比較すると,ISPトポロジーでは待ち行列長が大きく変動するリンクの数はBAトポロジーの40%程度に抑えられており,ISPトポロジーは待ち行列長の変動を抑える働きを持ち,それはISPトポロジーのモジュール構造によるものであることが明らかになった.
インターネットトポロジーを計測した結果,次数分布がべき則となることが明らかになっている.しかし,ネットワーク性能は次数分布のみに依存するのではなく,トポロジーが有する構造ならびに物理回線容量の割り当てにも大きく依存する.特に,インターネットにおけるリンクの物理回線容量はルータの処理能力やリンクを経由する対地間フロー量など,様々な要因に基づいて設計されるものである.下記論文では,通信ネットワーク固有の特徴であるリンクの物理回線容量に着目し,そのモデル化を行った.まず,国内の商用ISPにおけるバックボーンネットワークの回線容量分布がべき則に従うことを示した.次に,回線容量がべき則であることの利点を明確にするために,様々な物理回線容量分布を生成し,トポロジーに割り当て,ネットワークに収容可能なトラヒック量を比較評価している.対数正規分布に従うトラヒックマトリクスを生成し,ISPトポロジーおよびトポロジーのモデル化手法により生成したトポロジーに適用した結果,回線容量分布がべき則に従う場合に収容可能なトラヒック量が増加することが明らかとなった.また,既存のルータレベルトポロジのモデル化の研究において議論されていたノード処理能力制約のみでは,収容可能なトラヒック量が極めて多くなり,適切にモデル化できないことも明らかとなった.